daily chirol(2005/01/22)を見ていて確かにそうだなと思う。物理的時間的に忙しいかどうかは別として、心を亡くすと忙しくなるのだ。きっと。
「多くの人」がどのレベルなのか自分でもはっきりしないのでこういうことを書くのは何なのだけど。
hotsumaのURLメモ(2005/01/23)とかそこからリンクされているgene(2005/01/19)、さらにそこからリンクされているhotsumaのURLメモ(2005/01/17)なんかを読んで、確かに「多くの人」は「自分は正常だ」と思いたいのだろうなと思った。
もちろん私も自分は正常だと思っている(思いたい)し、正常でないと言われると動揺するだろうけれど、それは「正常ではない=間違っている」という前提で「正常ではない」と言われると自分のありようが危なくなるからじゃないのかなと思う。「普通ではないけどそういう状態もアリ」であるとか、「普通とちょっと違うから普通に生活するには他の人とは別のケアが必要(=そのケアをすれば普通の生活ができる)」であるとか、そのレベルで話が止まるのであればわりとすんなり受け止められるのではないかなと。
以前にこの手の話を医者の友人としていたとき、「血圧が高い人が血圧の降下剤飲むとか風邪をひいた人が風邪薬飲むとか、そういうのは別に問題ないのに、抑うつ状態にある人が抗うつ剤飲んでるって言うときっとみんな引いちゃうんだろうねぇ」というような話を聞いたことがあったのだが、抗うつ剤飲んで普通に生活できるのなら飲まずにうつ状態で苦しむよりいいように思うのだ。私もこの友人と話すまで、精神科系の薬には偏見を持っていたのだけど。
ちょっと違うケースだけれども、16日の日記で引用させていただいた特殊学級の話にしても、そのあたりのことが関係者を苦しめている直接の原因になっているような気がする。「特殊学級に入れる=ドロップアウトする」のような図式が暗黙の了解としてあったとしたら、やっぱりお母さんとしては自分や子どもが否定されたような気持ちになってしまうだろうし。
このへんがなんとかなれば楽になれる人多いんじゃないかなと思うのだが。