受け入れる側が「この子はそういう子だから」と考えられればそんなにしんどくないかもしんないですね。
確かに。....とはいえ、参考にはならないかと。佐藤さんは佐藤さんですし。(^^;;
(追記)個人的に失読症を含めた学習障害は学習の仕方が大半の人と異なっているだけだと思っているので、やれる方法でやればいいんじゃないの?とは思うんですが。現状でそれがどれぐらい可能か(教師の側の精神的・技術的・物理的余裕も含めて)というのが大きいんじゃないかなという気はします。
要するに「左利き」(=なら左手で鉛筆なり箸なり持てばいいじゃないですか)ぐらいの認識しかないんですよ…
まぁ、どんな病気でもどんな悩みでもそうなんだけど
まず、聞く。
それが大事。
で、一個一個前に迎えるように「一緒に」工夫する。
それが出来ることが「愛情」なんじゃないのかな?と思って行動しておりまする。
どんな病気も、どんな悩みも人と人から産まれるのですから。
判らない、言うこと聞かない、思い道理にならない...で泥沼って多いです。
はっきりいって思う道理にならなければいらつくし、怒るし、憤ります。でも、お互い「なんで?」とか「コレは出来る、でも、コレは出来ない」とか「じゃ、この出来るところをやろう、ゆっくりとでも」って行動するだけでずーっと気持ちも楽になるし病とか悩みとかも快方に向かうかな、と。
そう、考えてます。
脳の研究者としても、一人の人間としても、ですが。
「分からない」っていうのがいちばん大きそうですよね。私自身もそんなに詳しい知識はないのであれなんですが。
ちょーっと手間だけどそれするだけで違うなら、ってことは考えないといけないなぁと思いましたです。めんどくさがらずに。