さあ世の中へ出て、
ミステイクをやってきたまえ。
でも、それでいいんだ。
君のミステイクだからさ。
君自身のミスでなければならない。
君の音楽で、なにかを言ってきたまえ。
なんでもいいさ。
これが君だという何かをね
ついでに楽譜も何種類かあさったんだけれど、同じ曲でも別々の出版社から出版されているものがある。
実は版の違いについて具体的に気にしだしたのはついここ数年のことなのだが、同じ楽曲にもいろいろな解釈があるのだろう。と思う。しかもそれは版だけの話ではないようで。
前掲書のどれかに載ってたんだけど、求められている音を出せるなら運指はどうだっていいという考え方もあり(ドビュッシーは実際まったく運指の指定をしなかったらしい)、その反面やはり運指は指定されたとおりにするべきだという意見もある。私は後者の先生についていたので運指を間違えるといつもこっぴどく叱られた(しかも懲りずによく間違えた)。
そういうこともあってレッスンをとっていた頃はとにかく1曲1曲(技術的に)弾けるようになっていくことしか考えていなかったのだけど、文芸書や理論にいろいろな解釈があるように、曲にもいろいろな解釈があるのだろう。と改めて思う。
私は音楽に関してはあまり「読書家」ではないらしい(一般に言われる「読書家」かと言われるとそれもちょっと困ってしまうのだけど)と自覚したところで、時間のあるときはいくつかの譜面を見比べることもしてみたいなと思う。
というわけでリンク。『楽譜の風景』
いえこちらが辛いのではなく作る側が辛いのであろうかと>SMILE。<br>私は十二分に楽しんでおります。
『ピアノを弾く身体』は意欲作で面白いですねー。研究としてはまだまだこれからな分野ですが。