被災地の人やその関係者を気遣う言動が「気遣ってるのよ」という自己満足になっているような気がする。ちと反省。
何もできない人間はじっとしているのがいちばんいい、ということもある。
(追記)というわけで日本赤十字社のサイトにリンクを張りました。左のメニューに出ています。クリックすると新しいウィンドウが開きます。
多分既に誰かが言及していることだと思うけれども、amazonの書評など見ていると読書って著者と読者の共同作業なんだよなと感じることが多い。特に賛否両論ある本については受け手側が求めているものがあるかどうかによって本の評価が全然違うような気がする。
小劇場関係の芝居を見ては好き勝手にレビューを書いていた頃、「評論家は自分のスタンスを明確にして論を展開しなければならない」というような主旨の文章を読んだことがあるのだけど、書評も同じことだろう。「評論家」は自分のプライベートもある程度は張らないと良質の仕事ができないような気がする。少なくとも今までの読書歴(どんな本を読んでどんな感想を持ったか)は併記しないと評論そのものが成り立たなくなるのではないかと。
そういう意味では評論は芸術だ。と思う。