ロンとハーマイオニーが来日予定だそうな。しかし第4作もハリーはラドクリフくんですでに撮影中ですか。確かに成長期だし撮るんなら早めに撮っちゃった方がいいでしょうけれど。
とりあえず「アズガバンの囚人」は前売券購入済。
(追記)日刊預言者新聞(The Daily Prophet)によるとエマも4作目には出演予定とか。
最近どこのメディアショップに行っても『踊る大捜査線The Movie 2』と『BAYSIDE SHAKEDOWN 2』(例の「赤」と「白」)のプロモーションビデオがかかっていて、ファンとしては大変嬉しい。
何の気なしに街中を歩いていても「赤」と「白」のポスターが貼ってあるのを見つけて顔が緩んでしまったり。
変な人でしょうね。ええ。
『我が子を天才に育てる方法』とかいう感じのタイトルがついている本を時々見かける。中身を読んだことがないから的外れな意見かもしれないけど、「おとーさんおかーさん、その前に自分のケアをしたら?」と思ってしまう。「我が子を天才にする」ということばに、人生の主役を子どもに譲ってしまっているような印象を受けてしまうのだ。脇役に徹すると決めてその気持ちに揺らぎがないのなら話は別だけど、そうでないならちょっと寂しくないかな。もちろん子どもの面倒をみるのは親権者としての責務だと思うけど、子どもは結局自分とは別の人間なのだし、仮に本当に子どもが天才になったとしても実際に努力したのは子どもの方ということになってしまう。
小さい頃ピアノを習わせてもらえなかったから、という理由で自分の子どもにピアノを習わせる親御さんが結構いるようだけど、これだって自分でやってみたらどうだろう。今から始めたのでは小さい頃から続けてきた人には敵わないかもしれないけど、何にもしないで歳をとっていくより満足いく自分にはなれるんじゃないだろうか。
例えば小学生の子どもがプロのピアニストになるまでに10年かかったとして、その10年があればおとーさんやおかーさんも何か弾けるようになるだろう。何も弾けなかった10年前と比べたら大変な進歩だ。その10年の間何もしなかったとしたら10年経っても何も弾けないのだから。
自分の能力が発揮できるというのはとても気持ちのよいことだろうし、人間的にも余裕が出てきそうな気はする。子どもは親がことばで言うことより実際にやっていることの方をお手本にするらしいし、やりなさいやりなさいと強制するより親がやってる姿を見せた方が効果的じゃないかなと思うのだけど。親が楽しそうにやってたりなんかしたら自分もやりたくなるかもしれないし。
これはもちろん我々オトナ世代全員についても言えることだろうなとも思ったりする。「最近の子どもは無気力だ」とか言ってないで、身につけたいスキルを身につけ好きなことをして生きていく(それを職業にするかどうかは別として)姿勢を見せるのが、次の世代に対する責任ではないのかな。
というわけでつまり、自分で言ったことは全部自分に跳ね返ってくるのでした。ちょっとずつでも毎日積み重ね。毎日は無理でもなるべく頻繁に。自戒自戒。