自分の娘が結婚した直後からやたらにこちらに見合い話ばかり持ってくる知り合いのおばちゃんがいたのだが、その娘が最近離婚していたことが判明。
見合い話を持ち込む世話好きなおばちゃんの話はあちこちで聞く。このおばちゃんも好意に基づいていたのかもしれないけれど、他人事なんだからほっといてほしいと思っていた。見合いする気もなければ写真を撮られるのも嫌いな私は「新しい写真を」と言われるたびにうんざりして断っていたから、嫌がっているのは分かっていたはずなのだが、それでも懲りずにその手の話を持ってきていた。
娘とは友達でもあったしいろいろたいへんだっただろうと同情するが、おばちゃんに対しては心底ざまーみろと思っている私はやっぱり鬼畜である。我ながら人間できてない。
「ピンポン」の配給元が配給してるのね。思い出して「YUMEGIWA LAST BOY」をかけてみる。
ちょうど一年程前、殺人的な暑さの中で観に行った映画「ピンポン」。その曲にハマって帰りにカウンターでCDを買ってしまった。いまだに私の中にはあの強烈な暑さと、不思議に重たい石を飲み込んでしまったような感覚と共に刻み付けられている。そういえば兵庫県立美術館に行ったときも灘の駅から半泣きになりながら歩いていたような気がする(結構距離があるのですよ。行かれる方は覚悟して)。
去年は渋谷のBunkamuraにも遊びに行った。久々に歌舞伎の一幕見も見た。安藤忠雄氏の建築をあちこちで見てまわり、雨の中ギャラリー「ときのわすれもの」をのぞきに行き、考えることは多く、進むべき道らしきものを見つけてしかしそれが正しいかどうか迷いながら。ある意味価値観のスクラップ&ビルドの時期だったのかもしれない。
号泣するのとはまた違う、物理的な暑さと精神的なもつれとそのいろいろがこんがらがった状態で、あの暑い日々、私は確かに生きていた。